ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
読者の方の中には、「そもそもお前、何者なの?本当に信頼できるの?」と疑問を持つ人もいるかと思います。
そこで少しでも、「自分が何者で、どんな経験をしてきて、どんなことを考えているのか」を理解していただくために、少し詳しく自己紹介をしていきます。
目を通してもらえるとよりリアリティのある情報をお届けできると思っています。

ではまずは、簡単な経歴から
1988年埼玉県出身
・地元埼玉の県立進学校で “男子高青春ライフ” を謳歌
− 9年間続けて来たサッカーをやめ、なぜかラグビー部へ
− (”文武両道” を掲げるも、勉強をちゃんとやったのは3年生後半のみ)
− 同級生の半分以上が浪人する中、唯一合格した大学へ現役入学
・立教大学経営学部を5カ年計画で卒業
− 体育会に入部するも、1年で挫折
− 目標を失い、1年間の “暗黒時代” を経験
− 何かを変えるために、大学3年時にアジアバックパック旅を経験(アジアキャリアへの原点)
− しかし、就活でもまた挫折
・グローバル人材を目指すべく、新卒でNTTコミュニケーションズに入社
− 入社2年目からインドムンバイへ、1年間のトレーニー派遣
− 海外キャリアの実現へもがく日々
・社会人4年目で海外転職を決意し、日系戦略コンサル子会社のバンコク拠点へ
– 国内大手から海外ベンチャーへ。”生きている感覚” を取り戻し充実の日々。
– 1年後、社内キャリアアップにより、戦略コンサル部門へ
・現在は、海外就職/キャリアに関するメディア編集長&キャリア支援
– Asia Career Labo(アジラボ) の運営
– タイの人材企業にてマーケティング戦略

アジラボ
“「海外に出る」のその先「海外で生きる」人の羅針盤となるメディア”
いくつかメディアにも出演しました
過去に僕の海外キャリアについて、外部メディアでもインタビューしていただきました。
日本の大企業から海外就職を決意した経緯や、これから海外進出を目指す方々へのメッセージなどを話しました。
海外就職メディア『BEYOND THE BORDER』
アジアでキャリアを切り拓く井尻龍太氏に問う「海外キャリアを歩む人の羅針盤になる」とは?
海外就職メディア『アセナビ』
大企業から東南アジアのベンチャーへ。現地統括の井尻龍太氏が語る20代のキャリア論
ここからは詳しく
ここからはちょっと長くなりますが、自分の過去の経験も、どんな経緯でいまに至っているかも、できる限りさらけ出していこうと思います。それがなければ、言葉に説得力もないと思うので。
これを読んでくれた方が、少しでも自分の境遇と照らし合わせることで、よりリアルで肌触り感のある情報になっていけば幸いです。
少し長くなりますが、どうぞお付き合いください。
“ 勝手に理想は高いが、いつもギリギリ叶わない人生 “

【~高校まで】割となんでも卒なくできた、でもいつも1番にはなれない
特に大きな困難もなく、今思えば順調だった中学生までの15年間。
自分で言うのもなんだが、勉強も運動もそれなりにはできて、名門進学校にも無事合格。
高校入学後、小1から9年間続けたサッカーを続けるものと思っていたが、サッカー部の人数の多さに唖然。自分はここでレギュラーになれるのかとヒヨる。
様々な部活を彷徨ったのちに辿り着いたのはラグビー部。部員を集めたい先輩たちはあの手この手を使って新入生をおだててくる。その甘い(今思えば全く甘くはない)誘いにまんまとハマり、地獄の日々が始まる。
周りの多くが国立大や早慶を目指すものの、3年間男子高で部活しかしてこなかったスポーツバカたちが現役で志望先合格など叶えられるほど甘くはなく、同級生の半分以上が浪人する。
そんな中、3年8月で第一志望の早稲田は愚か、MARCHさえもE判定で絶望的な状況の中、僕はなぜか「半年必死でやればなんとかなる」と本気で思い、気が狂ったように猛勉強に励む。
結果、なんとか1校にギリギリぶら下がり合格。
本気でやれば人生なんとかなるもんだなと、この時は思っていた。
【大学時代】淡い自信は見事に打ち砕かれる、思い悩み引きこもり、暗黒時代を迎える
それなりに自分はできるという淡い自信と、まだどこか突き抜けたいという漠然とした思いから、入学直後の “新歓祭り” でチヤホヤされた快感もつかの間、
「あれ?俺これでいいんだっけ?」
と違和感を覚え、気づけば先輩に誘われ大学ラグビー部の練習へ。
ここでもまた先輩たちの甘い誘いに踊らされ(←いい加減学んでください)、結局入部することに。。高校時代の文武両道(←正確には勉強は3年後半の半年しかしていない)を大学でも極めてやろうと本気で思っていた。
(今思えば、浪人して第一志望の大学への入学を目指すべきだったか、自分の選択を疑うことも良くあった。でも、自分の選択を正解にしたくて、高校時代の友人に負けたくなくて、それをコンプレックスにはしたくなくて、必死に突き抜け方を模索していたように思う。)
しかしここは大学ラグビー。しかも一部リーグの強豪ということもあり、全国からスポーツ推薦で入って来た “走れるマッチョの化け物たち(笑)” との無謀な競争が始まる。
1年から何とか2軍の試合には出れるようになったものの、度重なるケガ、将来1軍でやっていけるかの不安、授業にもまともに出れない葛藤から、迷いに迷った末、1年の終わりに退部を決意。ある意味初めての大きな挫折だった。
しかしその後、熱中できることを失ってしまった僕は、人生にやる気が起きなくなる。
ラグビー部時代に無理をした体にもボロが出始め、次第に大学に通わなくなり、プチ引きこもりの暗黒時代が幕をあける。
(暗黒時代の約1年間はここでは割愛しますが、こちらに詳しく書いてあります。)
【挫折経験、暗黒時代は必要?】僕がどん底から這い上がって得た教訓(必殺技は存在しない)
周りに大きく遅れをとった僕は流石に危機感に襲われ、なんとか状況を変えようと試みる。
そこで希望の光を示してくれたのは、勇気を振り絞って決意した、3週間の東南アジアバックパック旅だった(この話は次のチャプターにて)
【就活】第一志望の総合商社に全て撃沈
1年間の休学を挟み、なんとか1年遅れで人生を取り戻した僕は、就活戦線へ繰り出すことに。
短い東南アジアでの日々で、なんとなく海外で仕事をすることに憧れを覚え、総合商社を第一希望に据える(今思えば我ながらミーハーで安直、、)。
自己分析も、面接対策も、自分なりに精一杯やった。しかし、ここでも現実を見ることに。
バリバリの体育会、帰国子女、大学時代で大きな強みを得たライバルたちがゴロゴロいる中で、自分の希望は叶わず、ここでも小さな挫折体験を味わうことになる。
“ 普通に戦っても勝てないのなら、勝てる場所で勝負する ”

ここまでの大学生までの人生で、少し自分の価値観に変化が芽生え始める。
「どんなに精一杯やっても勝ち目が見えないのならば、自分が勝てる環境を意図的に選んで、人がやらないことをやり、レア度を高める選択もアリなのではないか」
この考え方は逃げなのではないか?そんな葛藤は、もともと理想とプライドが高い僕の中に常にあった。正直、今でもそう思うこともある。
でも、大した挫折もしないまま、自分の内側と向き合わないまま競争環境で戦い続けていたら、今頃どうなっていただろうとゾッとする。
特に、なかなか妥協ができない自分の性格上、どれだけ自分を痛めつけていたか、安易に想像がついてしまう。
でも、この考えが20代前半で少しでも持てたことは、大きなターニングポイントだった。
何かを変えるためにバックパッカーへ(アジアへの思いの原点)
思い返せばその一歩目が、バックパッカーの経験だったように思う。
まぁバックパッカー自体はそれほど珍しい経験ではないのだけど、この時日本でくすぶっていた僕には、大きく視界が開ける経験で、いずれまたここに戻ってきたいという、何か大きなインスピレーションを感じ取った。
” より自分がワクワクして、力を出せる場所に身をおく “
この時の原体験が今の海外/アジアキャリアの原点となっている。
入社2年目の海外トレーニー:誰も希望しないインドを自ら希望
新卒で入った会社は、採用時から海外注力は掲げていたものの、入ってみたら思った以上にお役所的でドメスティックだった。
これは普通に同期と同じようにやっていたらダメだと危機感を抱き、入社2年目の海外トレーニー派遣制度に応募。
ここでも、多くの志望者が欧米やシンガポール、香港といった華々しい拠点を志望する中、
「若いうちにハードな体験をしたいから、インドかブラジルにいかせてほしい」
と希望を出し、当然ライバルも少なく無事合格。(相変わらず体育会気質の抜けないドMな発言をよくしたなと、改めて思う)
早くからレア度を高めたい
本当にこのインドでの1年間は、20代前半の若造にしては計り知れないほど貴重な経験となり、行かせてくれた会社には頭が上がらない。
しかしそんな刺激的すぎる経験をした直後に、日本での退屈な日々への違和感がぬぐいきれなかった。(これは海外勤務からの帰任後、誰もが向き合う経験だと思う)
海外、アジアでキャリアを積みたい意識が固まっていた僕は、早くとも30代以降になるであろう駐在のチャンスを待つことへの疑問符を拭い去ることはできず、「日本に残った場合」、「早くから海外へ出る場合」のメリット・デメリットを入念に比較した末に、28歳の時に自らの意思で海外へ出る決意をする。
この、「海外就職、さらには移住」までのプロセスについては、決して勢いだけでなく、自分なりに入念に検討した結果だった。
僕は周りから行動力があると言われることが多いが、実はものすごくビビリで、心から納得しないと動けない人間だ。
でも、悩んでウジウジした経験も、納得するまで時間をかけて情報収集した経験もあるからこそ、そんな人の気持ちもよくわかるつもりだ。
だからこそ、ただなんとなくエイヤー!で動いただけではわからなかったであろう、よりリアルな発信ができると思っている。
このプロセスがこれから海外に出ようとしている人たちの役に立てばと思い、このブログで発信していきたいと思う。
とはいえまだまだ道半ば

今年で海外生活も4年目に入ったが、まだまだ勝てる環境でポジションを築くチャレンジの最中である。
まだまだ偉そうなことを語れる立場ではないけど、試行錯誤しながらももがく姿も含め、これからも体当たりしながら得た情報や経験を、少しでも必要としているたちに届けるために、このブログを書いていきたいと思う。
つづく